ロシア大使挨拶。この日は前日のアレクサンドルフ・アンサンブルの三分の一のメンバーらが死去した飛行機墜落事故の犠牲者への黙祷から始まりました。

エレナ・スミルノワポートレート
会場での写真があまり鮮明に取れなかったので、活躍当時のポストカードから。(Naoko Haga Ballet Collection)

上部中央の写真の中心人物はボリス・ロマノフ。キャプションにありませんが、右はバレエ・リュス・ド・モンテカルロのワシリー・バジル大佐、左はルネ・ブルム。バレエ・リュス・ド・モンテカルロ結成が発表された1931年の写真ですから、色々想像が膨らみます。
右下は閑院宮載仁親王、1916年にロシアを訪問。公演に関わっているとの説明がありました。

1916年3月16,17,18日の帝国劇場公演チラシ。

スミルノワが出演している映画の一部も上映されました。

スミルノワがシベリア経由で日本へ向かう事についての劇場支配人テリヤコスフキーによる許諾書(3.12付)

英語プログラム表紙。チケットの値段も掲載されている。

アレクサンドル・ゴロヴィンによるスミルノワの肖像(1910)と。
会場にいらしていた友人が私のしているマフラーとぴったり!と撮ってくださいました。

 ロシア大使館の迎賓館でマリインスキー来日100周年展が行われるとお招きを受けました。その様子はNHK,テレビ東京でも放映されたのでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

 

 初めて来日したダンサーがバレエ・リュスにも参加したロシア帝室劇場のエレナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、そしてオルガ・オブラコワであったことはもう少し記憶されるべきだと思うので、いい機会だったのではないでしょうか。

そして、日本で初めて『瀕死の白鳥』を踊ったのが(ロマノフ演出とありますが)スミルノワであることももう少し記憶されてもいいでしょう。

 

 今回、来日が「マリインスキー劇場バレエ団」の初来日とされていましたが、これはセルジュ・リファールの1953年の来日が「パリ・オペラ座」来日とされるようなものでしょうか。実際は3名が来日、当時の公演プログラムには「PROGRAMME of the Imperial Theatre inPetrograd the Prima-Ballerina Mme. Smirnova, the master of Ballet, Romanoff and others」となっており、開演はいずれもマチネ1時でした。

10の小作品が上演され、その中には時世をうつす「三國同盟」という作品も上演されています。残っていない作品も多いラインナップです。

 

 今回の出品は50点程ですが、珍しい資料も多く専門家にはとりわけ大変興味深い展覧会でした。

すべて複製でしたので、バレエ会場ロビーなどでもっと多くの方の目に触れることができたらいいな、とも思いました。

スミルノワ、ロマノフ公演については最近新しい事も分かりつつありますので、少し研究が進むかもしれません。