コロナ禍で延期された2021年10月に亡くなられた『牧阿佐美 お別れの会』が2022年9月6日に芸術監督も務められた新国立劇場で開催されました。その会場にいつものように鮮やかな色のスーツでいらっしゃるのではないかと思うほどにまだ実感がありません。
そもそも、私にとって牧阿佐美先生は日本バレエ史上の人物でした。
僅かながらご縁をいただいたのは、新国立劇場バレエ研修所が創設されたことがきっかけでした。
研修所創設当時はバレエ史を薄井憲二さんが担当されており、2年目からだったでしょうか最初は何人かの担当者で自身の専門の部分を講義するというスタイルだったこともあるのですが、その後私が担当して現在に至っています。
講義が始まった頃、牧先生がご覧になるために録画させてほしいというご依頼があり、どう受け止められるだろうかとドキドキしたことを覚えています。特にその後コメントをいただくことはありませんでしたが、続けて担当の御依頼があったのでひとまず合格だったのでしょう。
牧先生はご自身のなされた大きな仕事についても決して自慢されるようなことのない方でしたが、「バレエ研修所は私が作ったのよ」という言葉は何回も耳にしました。そして、そうおっしゃるのも当然の大きな仕事だったと思います。
例えばジョルジュ(ジョージ)・バランシンはニューヨーク・シティ・バレエ団創設の依頼が来た時に、まずバレエ学校をつくらなければバレエ団は無理だとバレエ学校「アメリカン・バレエ・スクール」を作るよう求めたのは有名な話です。日本はまず新国立劇場バレエとしての公演が行われ、その後で研修所という順番でしたが、国立でバレエの教育機関ができたのは画期的な事でした。大変なご苦労があったのは想像に難くありません。
各国のバレエ学校が8年であるのに対して、最長4年のいわばフィニッシング・スクール的な存在ですが、そこから巣立ったダンサー達の活躍は近年目覚ましいものがあります。僅かながら関わっている私が言うと手前味噌と思われてしまうかもしれませんが、十分な成果を上げていることは確かと言えるのではないでしょうか。
そしてご苦労の末バレエ研修所を作った時にバレエのレッスンだけではなく、スパニッシュ、ヒストリカルダンスといった身体技法だけではなく、バレエ史、音楽史、美術史、ノーテーション、栄養学と言ったなかなか民間のバレエ学校では時間も人でもさきずらい部分を整備されたのも本当に重要な事だと思います。
これで他のバレエ学校のバレエ史に関心をもってくれるかもしれない、と思いましたがそこはKBalletさん位でなかなかバレエ教育に取り入れられないのは私の力不足かもしれず、もどかしい思いでおりますが‥。
最初にお話しがあった時、バレエ・ダンサーの卵たちにバレエ史を伝える機会がようやく訪れた!!ととても嬉しく、一方で内容についての責任があると身が引き締まるような思いがしたのを昨日の事のように思い出します。しかも前任者はお話しが面白く内容が豊か、加えてご自身が体験された「歴史」をお話しになることができるまさに「歩くバレエ辞書」のような薄井さんでしたから、同じことは不可能だけれど、充分に内容のあるものに、と準備を一生懸命し、今でも丁寧に準備し続けています。
その時点での最新情報を交えつつ、歴史を年表としてではなくダンサーも身近なものとしてとらえられるように世代によって特徴も興味もかわる生徒さん達に伝え、各々が活かせるようにと思いあれこれ盛り込んでお伝えしています。技術のようにすぐに生かせる、変わるという性質のものではありませんが、いつかどのような形かで役にたつと信じてお話ししています。
バレエを踊る人がたとえば『ジゼル』と『白鳥の湖』のどちらが古いか知らない、「ロマンティック・バレエ」の「ロマンティック」の意味をフリルとリボンの世界の「ロマンティック」だと思っているということは日本では珍しくありません。
折角その世界を生きる方たちには自分の表現、作品の理解、そして何よりバレエというものの魅力をより深くしり、楽しみ、発信するためにバレエ史はもっともっと伝わって欲しいといつも思い、微力ながら伝え続けています。
新国立劇場バレエ研修所のバレエ史という牧先生からいただいた小さいけれど大切なバトンは次の世代にもつないでいかなくては、と今回開催された偲ぶ会に出席して、改めて思いをかみしめました。
2022年9月9日