藝大プロジェクト2016「サティとその時代~世紀末からベルエポックへ~」

楽屋通路で左から山村さま、私、小鍛冶さま、小沼さま

藝大ならではの邦楽のご案内なども

時がすぎるのはあっと言う間で、藝大プロジェクト、サティ生誕150周年イヴェントも11月6日、無事終了いたしました。

 

鼎談、お聞きになった方はどうだったでしょうか?

小沼さんのスムースな信仰で、楽しくてあっという間でした、もっとお三方のお話を伺いたかった!

そしてアニメーション『パラード』はバレエのイメージも重なる洒落たもの、演奏された『パラード』はやはり本当に革新的、と感じましたし、他の楽曲もとても100年も前とは思えない瑞々しい感性が感じられると思いました。

客席からは見えにくかったかもしれませんが、本物のタイプライター、空の瓶、サイレン、水(これは水に石を投げ込む形で、楽譜が指定しているバケツの水を流すはさすがに会場ではできませんでしたが)が使われていました。

写真を取り忘れてしまって残念。

 

藝大の学生さんがバレエ・リュスに関心があるとお声かけ下さって感激しました。若い方にバレエ・リュスがもっともっと愛されてら、と思っております。

 

来年はパラード100周年。

欧州でのイヴェントもまだ、聞こえてこないのは何故? もう少し探してみます…。

2015年のお話~個人的ステージベスト3~

ローマ歌劇場楽屋通路にて

ローマ歌劇場正面、中央ポスター2枚がナイチンゲール

1.ローマ歌劇場バレエ団『ナイチンゲールの歌』、ローマ歌劇場

「幻」のバレエ・リュス作品が上演されると聞いてかなりの強行軍でローマまで見に行きました。「幻」というのは、ディアギレフが依頼し、美術・衣裳デザインが完成したにも関わらず上演されなかったからです。(実際に上演されたのはその後アンリ・マティスに依頼し直されたのもの)

未来派の画家の一人だったフォルトゥルナート・デペーロによる衣裳は「ナイチンゲール」以外は造形物といった方がいいような形のものばかり。デペーロ・デザインは上演されたことがないので、マティス・デザインで上演された際のレオニード・マシーン振付によるものでした。デペーロ・デザインで上演されていたら振付も違うものになっていたと思いますので、フェアな見方ではないかもしれませんが、今回の舞台を見て、ディアギレフがデペーロ・デザインを採用しなかった理由の一端がわかったような気がしました。つまり、デペーロ・デザインを不採用としたのは、ディアギレフが想像以上に「ダンス」を踊る「身体」というものを大切にしていたからではないかと感じたのです。

やはり、資料だけでは分からない事は沢山あるものです。研究というのは手間がかかっても「現場へ行く」というが欠かせないと改めて思いました。

同時上演された、『カルミナ・ブラーナ』は正直なところ特に期待していなかったのですが、素晴らしい作品でした。エマニュエル・ウンガロのデザインのオシャレな衣裳は舞台衣装として素敵なだけでなく、着てみたいと思うものも…。初日カーテンコールでは82歳になるご本人も晴れやかな顔で登場しました。ローマ歌劇場の芸術監督でベルギー人の父を持つミシャ・ヴァン・ホッケのスタイリッシュでパワフルな振付と相まって忘れられない『カルミナ・ブラーナ』になりました。ちなみに、ホッケはバレエ・リュスの重要なダンサーの一人オルガ・プレオブラジェンスカヤに学び、プティ、ベジャールの元で踊った後、ムードラの芸術監督も務めたという20世紀バレエ史を体現するような人物です。

ローマ滞在は短いながらも、この他にフォルトゥナート・デペーロ展に加え、思いがけなく会期延期されていたカラヴァッジョ展も見ることができる幸運に恵まれました。研究の面から意義深い旅だっただけでなく、プンタレッラの時期でもあり、美味しいお食事ももちろん楽しみました。

2.坂東玉三郎『壇浦兜軍記 阿古屋』、歌舞伎座

初めて見た歌舞伎は、父に連れて行ってもらった「タマタカ」の『仮名手本忠臣蔵』お軽勘平でした。藤色の着物の玉三郎のあでやかさ、巻物の手紙を手繰る手つき、今でも鮮明に思い出せるほどです。もう演じないとも言っていたような気がする『阿古屋』を上演すると聞いて、見に行きました。バレエと違い年齢を重ねた芸の深淵も魅力的な歌舞伎。個人的には「眼福」と言うほかないと、出てきた時につい「ほぉ~」とため息が出るのも納得できる美しい姿でした。私は歌舞伎は素人ですから、楽しみとして、また個人的な贔屓も強いとは思いますが、いいものを見ました。新春の坂東玉三郎は『郭文章 吉田屋』の「夕霧」、と大役続きです。こちらも楽までに是非見に行きたいと思っています…。

3.ボヴェ太郎『寂寥の薫-能≪楊貴妃≫』、京都文化博物館別館ホール

トヨタ・コレオグラフィー・アワードに出場された頃からほとんどの公演を追いかけてみているダンサー・振付家。抑制され、そぎ落とされた動きながら、空間を“ぐわん”と動かし、時にかき回すような独特の身体は他に例がないと感じています。

それゆえに次作への期待も大きくなってしまうにも関わらず、ほぼ毎回その期待を上回るすごさがあります。最近はより難しい、使いこなしにくい会場を舞台にする傾向があるかもしれません。

 

今回は京都文化博物館別館、国立指定重要文化財だそうですが煉瓦のホールが会場でした。そこで響く能楽は能楽堂とは全く違う、ロック、ともいえるような力のあるもの。その中で舞う肉体は時にあでやか、そして時に悲痛、とあっという間の時間でした。(ダンスというよりもご本人も使われていますが「舞う」と言う言葉がしっくりきます)今後の活動もとても楽しみです。

東京公演が少ないと言う声も聞きますが、遠くまででも見に行く価値があるでしょう。関西公演がほとんどなので、「京の都」を楽しむこともできますし…。

 

ボヴェ太郎ウェブサイト:http://tarobove.com/

 

そろそろ『くるみ割り人形』

初めて買ってもらったカラヤン指揮の『くるみ割り人形』LP。今見ると王子のコスチュームが『パラード』のレオタードに見えてしまいます。

2015年冬の初『くるみ割り人形』は井上バレエ公演でした。いよいよクリスマス・シーズンです。井上バレエ団『くるみ割り人形』プログラム

12月は『くるみ割り人形』の季節です。バレエの舞台自体がクリスマスの夜なので、当然のことかもしれません。都内近郊だけでも毎年少なくとも7,8本程度の『くるみ割り人形』を見ることができます。日本全国ですともっと沢山ありますが…。

それぞれの演出の違いを見るのも楽しいですし、カンパニーによっては幕間にダンサーがロビーでお菓子を配ったり、観客との写真撮影に応じたり、また、客席に向かって最後に小さな袋に入ったお菓子を投げたり、いつもと違う「フェスティヴ=お祭り的な」ムードが漂います。
『瀕死の白鳥』を当たり役とした20世紀最高のダンサーの一人、アンナ・パヴロワが初めて見たのバレエも『くるみ割り人形』だったと伝えられていますが、バレエを志す人達や、バレエ関係者でも初めての作品だったという方も多いかもしれません。

私も初めてあぁ、バレエってすごい!と思ったのは子供時代にベルギーでその日だけTV放映されていた『くるみ割り人形』でした。そして初めて父にねだって買ってもらったLPも『くるみ割り人形』でした。当時帝王カラヤン全盛時代で子供でもその名前をしっているほどでした…。
繰り返し聞いたことをよく覚えています。中でも「花のワルツ」の音楽に響きは想像の世界を膨らませてくれました。VTRはまだない時代でしたから、音楽を聞きながら、頭の中でバレエのシーンを再現していたのも懐かしい思い出です。
さて、今年はどんな『くるみ割り人形』に出会えるでしょうか…。