イヴの日に悲しいお知らせが届きました。
薄井憲二さんご逝去、との事。
まだまだお聞きしたい事、教えていただきたい事が沢山ありました。とても残念です。
ディアギレフやリファール、ドーリンのいる彼方に旅立たました。
今はただ、安らかにお休み下さいと願うばかりです。
振り返ってみた事がありませんでしたが、薄井憲二さんとのご縁は20年以上に渡ります。大学時代に私が同級生と運営していた「近代舞踊史研究会」の冊子を読んで下さった事から始まりました。私の祖父と薄井憲二さんのお兄様が親しかった事から繋がったご縁でした。
まだ一介の学生でしたが、「バレエ・リュスに興味を持つ若い方が出てきて嬉しい」と教えていただいたり、間違いを指摘いただいたり、時には資料をご提供いただくなど、様々な形でお世話になり続けました。初めてバレエ・リュスの当日プログラムを見たのはお送りいただいたコピーでの事でした。
あの時代の「本物」のサイズ、文字ととても興奮した事を覚えています。本ではなく本物の資料をベースにした研究という原点の一つだと思います。
時代も違いましたから、お手紙でのやり取りが続き、初めてお目にかかったのは大学院に進学してからでした。魅力溢れるスケールの大きな先生という印象を持ちました。
その後、1998年のセゾン美術館でのバレエ・リュス展の出品のためにキュレーターの方とコレクションを拝見しにご自宅に伺い、その量と内容に驚きました。パリやロンドン、NYに行って見て来たもの、見つからなかったものがまさか日本にあるとは思わなかったのです。
展覧会のための出品選定を一緒にさせていただき、ケース展示を任され無我夢中で仕事した事を良く覚えています。
展覧会場に何回も薄井さんがお運びになっていたのも印象深い事でした。本当にお好きだということを強く感じましたし、ご一緒に拝見した時にはその作品についてのお話など今でも思い出す事があります。素敵な思い出です。
2000年に開催されたバレエ・リュス同窓会の情報をいただいたのも、薄井さんからでした。既にお知り合いでいらしたイリーナ・バロノワやジョリジュ・ゾリッチといった元バレエ・リュス・ド・モンテカルロのダンサー達に会う事ができました。掛け替えのない時間でした。写真を撮る習慣がないので、わずかしかありませんが、その様子と会話は心と記憶にしっかりと焼き付いています。
私のバレエ・リュス・ド・モンテカルロの認識が変わった契機にもなりました。
その後、ご連絡をいただき、5年に渡ってその薄井さんのご自宅のコレクション・ルームに通ってコレクションをゼロから整理し続けました。最初は2年もあれば終わると思っていたのですが、膨大な量と内容で想像以上に長い時間がかかりました。泊まっていた京都までの終電になることもしばしばでした。時を忘れるほどに幸せで楽しい仕事だったのです。整理しながら沢山の事を学び、教えていただいた事、感じた事は私にとって掛け替えのない贈り物です。
色々な案があったものの、最終的に兵庫県立芸術文化センターに収蔵されました。
収蔵時そしてその後5年間、キュレーターとして館内での年6回の常設展示、2回の企画展示、そして館外への貸し出しや企画展示すべてを手掛けました。2009年には小さいながらも宝石のような展覧会を改築前のミキモト・ホールで開催することができた事が少しは恩返しになっていたらいいなと思っています。東京の素敵な空間で、クリスマス・シーズンにコレクションを見ていただけたのは嬉しい事でした。最後に関わったのは京都国際マンガ・ミュージアム、北九州マンガ・ミュージアムヘ巡回したバレエ・マンガ展でした。
その後も、新しいコレクションをお買いになられた時など、折に触れてご連絡をいただき、またさせていただきました。バレエのお話もこれまで経験された海外のお話もずっと聞いていたいようなお話が沢山あり、バレエ・リュスに関わる人物についてはもう一度しっかり伺わなければ、と思いながら果たせなかった事は心残りです。
折々の何気ない会話も今では二度と手に入らない宝物になってしまいました。大切に抱きしめながら、伝えるべき内容は伝えていかれたら、と思っています。
海外の共通の友人、知人たちからも悼む声が届きます。
本当に偉大な、スケールの大きい最後のディレッタントでいらしたのだと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。