◆ 1 ◆ ニルスのふしぎな旅 with マレ

年齢がバレますが『ニルスの不思議な旅』というアニメがありました。ガチョウのモルテンに載って14歳の少年ニルスが旅する話です。この作品は元々スウェーデンの子供たちが自国の地理を楽しく学べるようにという政府からの依頼を受けて児童文学の作家セルマ・ラーレゲルレーヴが書き、1906~1907年に刊行されたものだそう。

私が最初にマレの恋人であり、生涯の友人でもあったニルス・フォン・ダルデル(1888~1943)の名前を聞いて連想したのはそのニルスでした。

 

 

ニルスは名前の「フォン」から分かるように貴族出身でした。

マレと同い年で似たような環境で育ち、共に若い頃は健康が思わしくなく、そしてゲイだったことから親しくなり、夏の休暇をしばしば共に過ごし、1914年のアルジェリアへの旅や1917年の世界旅行はほとんどの行程を一緒に移動しています。1917年の旅では日本が気に入り、マレの旅立ちを見送って半年ほど残ったのは以前こちらで紹介した通りです。

ニルスは自身も画家で、しばしばパリを訪れ多くの芸術家とも知り合っています。大変な美男でその「ダンディー」な姿は被写体にもなりました。現在、常設はされていませんが日本にあるマリー・ローランサンのコレクション(以前蓼科、赤坂に美術館がありました)にはマリー・ローランサンが描いたとても素敵なマレの全身を描いた肖像画があります。

 

 

ニルスはまた、マレが自らの絵画コレクションをつくるに当たって大きな役割を果たしました。パリではアンリ・マティス、ジョルジュ・ブラック、パブロ・ピカソらと親交を結び彼の紹介でマレは彼らと知り合い、作品を購入し、後にバレエ・スエドワの美術を依頼しています。ニルスの果たした役割は非常に大きく、バレエ・リュスでのグリゴリエフのような片腕のような存在だったと言えます。

ニルスはパリで画商のアルフレッド・フライシュマンの紹介で有名なガートルード・スタインのサロンも訪れています。

マレが1914年にマリー・ローランサンの『若い女性達』を高額で購入したことで彼女の画家として地位もぐんと上がったことももう少し記憶されていいのではないでしょうか。この年に購入したジョルジュ・ブラックの『フルーツボウルと静物』と共に現在、ストックホルムの現代美術館に収蔵されています。2点目のピカソ『ラパン・アジル』を手に入れたのもこの年でした。

ちなみにコレクターの常として、彼は売買もしています。

戦後A.I.D.の維持の費用に苦労するようになるとピカソの『ラパン・アジル』を手放しています。当時のピカソ作品最高額を記録しています。(換算が難しいのでそのまま記載しますが、1914年に7000マルクで購入したものが1952年に40,000ドルで競り落とされました)

彼の美術への審美眼は彼独自のものではありましたが、その実際のやりとりやパリへの先導者としてニルスの役割は小さくありません。

 

 

ニルスはマレの恋人の一人でもありましたが、熱烈に恋した相手というよりは死ぬまで近くにいた親友となりました。ディアギレフにとって天才ニジンスキーは最高の恋人でかけがえのない存在であり、一方で(ニジンスキーが去って随分後に出会った相手ですが)ボリス・コフノは恋人というよりは片腕のような、秘書のような存在であったのと少し似ていると言えるでしょう。

当時、フランスでは認められていましたが、スウェーデンでは1944年になるまで同性愛は犯罪でした。彼はすでにご紹介したように王を自宅に招くほど格式の高い貴族でしたから、大っぴらに男性の恋人を連れて歩き、それを表立って非難されることはありませんでした。しかし、1950年にピカソ『マンドリン弾き』寄贈しようとした時には彼がゲイであることから事がなかなか進まなかったことが分かっています。

2009年にストックホルムで開催された展覧会では彼のゲイの恋人も写真で多数紹介されていました。

日本で同じような展示はまだ難しそうですが、マレの人生を考えた時、そして彼の活動を考えた時、重要な意味を持つ人達です。

 

 

次回はマレの華麗なる交友をご紹介します。

7月4日更新です。

旅先のアルジェリアでラクダの背に乗るロルフ・ド・マレ(左)とニルス・フォン・ダルデル(右)、1914年

ニルス・フォン・ダルデルが描いたロルフ・ド・マレ、1916年

ニルス・フォン・ダルデル、1917年

(写真3点共エリック・ナスランド著『ロルフ・ド・マレ』2009年、より)