ご案内状表紙

ツタンカーメン王発掘100周年に~赤と青の器たち~ 近藤高弘×山田晶―Contemporary Vessel-

 

展覧会詳細:

近藤高弘×山田晶-Contemporary Vessel-

9月15(木)~25日(日)

銀座WAKO 6階 セイコーハウス銀座ホール

 

展覧会のお知らせをいただいた時、その鮮やかな青と赤の世界にハッとしました。

ご案内状表紙
ご案内状表紙

 

会場は全体がインスタレーション作品のようでどの角度で見ても美しく、1点ずつ見ると見ごたえのある展覧会の様相。

美しい空間
美しい空間

ブルーの器は海、私はギリシアの海をまず連想しました。特に窯変のうつわは角度でキラキラと煌めき、海だけでなく天空、など様々なブルーを想起させます。手触りはつるんではなく少しテクスチュア感があるのも感覚を刺激されます。

赤い器は少しマットな質感で、塗りの器の雰囲気も感じさせます。実際に手にもってみてはいませんが塗りのようで重量は陶器というのが面白そう。

色はもちろんの事、この質感の違いがお互いの作品を引き立てあうという本当の意味で「コラボレーション」が成立している空間構成も楽しめる展覧会。(良くあるダブルネームではなく)

 

実際、今回は両者の作品を一つのセットとして販売するものも多く、これは2人の作家の納得があってのこと、極めて面白いケースなのではないでしょうか。

インスタレーションのような空間
インスタレーションのような空間

 

一見するとブルーと赤ですが、実は背景にはエジプトのツタンカーメン王のイメージが‥というと驚かれるかもしれません。(タイトルで「?」と思われた方もおいでかと思いますが)

 

実は今年はエジプトでツタンカーメン王の陵墓が発見されて100周年。当時この影響は大変大きく、エジプト・ブームが起こり、多くの分野に影響がありました。

 

それから100年の2022年、今回の展覧会はそのブームを現代が読み直したら、という視点から見る事ができます。

でも、何故でしょうか。

 

まず、近藤高弘氏の青い器はラピスラズリのブルーを希求したもの。今回これだけの数展覧会として展示されるのは実は初めて。近藤氏が考え、求めたブルーが多くの試作・思索を経て安定的に生み出せるようになったからだといいます。

初公開の近藤孝弘氏による青い器シリーズなのです。

光でキラキラと移り変わる青は本当に魅力的。

角度で光が変わる器
角度で光が変わる器

 

そして、山田晶氏の赤、これがツタンカーメンと関係するとは到底思えないかもしれませんが、この赤を生み出しているのは金なのだそう。

実物をしっかり見ると確かに金の要素が見えてくるのを会場で実感するのも醍醐味だと思います。

つまり、ラピスラズリのブルーと金、見た目はブルーと赤ですが、それをつくる色の要素はツタンカーメンのカラー“ラピスラズリのブルー”と“ゴールド”に他ならないのです。

 

100周年にツタンカーメン王を象徴するカラーがこうして器としてはブルーと赤となって日本、京都で生みだされたことは何とも興味深い事ではないでしょうか。
京都は祇園祭りもそうですが、様々な国の様々な文化を独自に自分のものとして受け入れそれを“京都の文化”としてきました。日本の文化は本来そうした受容力をもっていたわけですが、それが今でも色濃く残る場所。

共に京都出身の作家がやはり脈々と続く焼き物の世界で100年後にそこから生み出した器たちの何とも壮大なロマンさえ感じます。

 

そしてどちらの器も単に日常に使える器、でもある一方、それを1点ずつ見ても極めて見ごたえがあり、想像力を掻き立てるもの、作品として成り立つものという難しいけれど、実は手に入れた側にとっても最もつき合いやすい存在の器となっているのも現代的と言えそう。

 

近藤高弘氏の作品と聞いて、銀滴彩をまず思い出す方も多いのではないでしょうか。個人的に銀滴彩の作品としてはギメ美術館で展示されていた「坐像」の神々しさは鮮烈な体験でした。現在もギメ美術館に収蔵されています。
今回同時期(9月19日まで)日本橋高島屋『白と黒―光と影』展に銀滴彩の作品が出品されていましたが、そうした作品とアプローチの違う、あらためて“うつわ”に向き合った新たな1ページ目の展覧会が今回の「Contemporary Vessel」と言えるでしょう。。

 

また、これはこじつけと感じられるかもしれませんが、おりしも英国では1952年以来の大セレモニーが会期中にありました。英国の旗は赤とブルーと白。
白は会場にはありませんが、あげるならば実はこれも今年初来日から100周年なのが『瀕死の白鳥』で知られるバレエ・ダンサー、アンナ・パヴロワ。パヴロワと言えば白いチュチュで踊られる白鳥を誰もが思い出す存在で、日本でも上演されています。そう考えると100年目が多い2022年なのかもしれません。

 

展覧会を見た後にローズベーカリー、bills、などアンナ・パヴロワにちなんで作られたメレンゲを主体としたお菓子パヴロワを食べられるところも多いので、そんな楽しみ方も良いかもしれません。

会期は25日まで、和光の6階ですのでアクセスも良いですから、是非。

 

※会場は写真撮影不可ですが、許可をいただいての撮影・掲載となります。

牧阿佐美先生の思い出~『牧阿佐美お別れの会』に出席して~

 

コロナ禍で延期された2021年10月に亡くなられた『牧阿佐美 お別れの会』が2022年9月6日に芸術監督も務められた新国立劇場で開催されました。その会場にいつものように鮮やかな色のスーツでいらっしゃるのではないかと思うほどにまだ実感がありません。

 

そもそも、私にとって牧阿佐美先生は日本バレエ史上の人物でした。

僅かながらご縁をいただいたのは、新国立劇場バレエ研修所が創設されたことがきっかけでした。

 

研修所創設当時はバレエ史を薄井憲二さんが担当されており、2年目からだったでしょうか最初は何人かの担当者で自身の専門の部分を講義するというスタイルだったこともあるのですが、その後私が担当して現在に至っています。

 

講義が始まった頃、牧先生がご覧になるために録画させてほしいというご依頼があり、どう受け止められるだろうかとドキドキしたことを覚えています。特にその後コメントをいただくことはありませんでしたが、続けて担当の御依頼があったのでひとまず合格だったのでしょう。

 

牧先生はご自身のなされた大きな仕事についても決して自慢されるようなことのない方でしたが、「バレエ研修所は私が作ったのよ」という言葉は何回も耳にしました。そして、そうおっしゃるのも当然の大きな仕事だったと思います。

 

例えばジョルジュ(ジョージ)・バランシンはニューヨーク・シティ・バレエ団創設の依頼が来た時に、まずバレエ学校をつくらなければバレエ団は無理だとバレエ学校「アメリカン・バレエ・スクール」を作るよう求めたのは有名な話です。日本はまず新国立劇場バレエとしての公演が行われ、その後で研修所という順番でしたが、国立でバレエの教育機関ができたのは画期的な事でした。大変なご苦労があったのは想像に難くありません。

 

各国のバレエ学校が8年であるのに対して、最長4年のいわばフィニッシング・スクール的な存在ですが、そこから巣立ったダンサー達の活躍は近年目覚ましいものがあります。僅かながら関わっている私が言うと手前味噌と思われてしまうかもしれませんが、十分な成果を上げていることは確かと言えるのではないでしょうか。

 

そしてご苦労の末バレエ研修所を作った時にバレエのレッスンだけではなく、スパニッシュ、ヒストリカルダンスといった身体技法だけではなく、バレエ史、音楽史、美術史、ノーテーション、栄養学と言ったなかなか民間のバレエ学校では時間も人でもさきずらい部分を整備されたのも本当に重要な事だと思います。
これで他のバレエ学校のバレエ史に関心をもってくれるかもしれない、と思いましたがそこはKBalletさん位でなかなかバレエ教育に取り入れられないのは私の力不足かもしれず、もどかしい思いでおりますが‥。

 

最初にお話しがあった時、バレエ・ダンサーの卵たちにバレエ史を伝える機会がようやく訪れた!!ととても嬉しく、一方で内容についての責任があると身が引き締まるような思いがしたのを昨日の事のように思い出します。しかも前任者はお話しが面白く内容が豊か、加えてご自身が体験された「歴史」をお話しになることができるまさに「歩くバレエ辞書」のような薄井さんでしたから、同じことは不可能だけれど、充分に内容のあるものに、と準備を一生懸命し、今でも丁寧に準備し続けています。

 

その時点での最新情報を交えつつ、歴史を年表としてではなくダンサーも身近なものとしてとらえられるように世代によって特徴も興味もかわる生徒さん達に伝え、各々が活かせるようにと思いあれこれ盛り込んでお伝えしています。技術のようにすぐに生かせる、変わるという性質のものではありませんが、いつかどのような形かで役にたつと信じてお話ししています。

 

バレエを踊る人がたとえば『ジゼル』と『白鳥の湖』のどちらが古いか知らない、「ロマンティック・バレエ」の「ロマンティック」の意味をフリルとリボンの世界の「ロマンティック」だと思っているということは日本では珍しくありません。

折角その世界を生きる方たちには自分の表現、作品の理解、そして何よりバレエというものの魅力をより深くしり、楽しみ、発信するためにバレエ史はもっともっと伝わって欲しいといつも思い、微力ながら伝え続けています。

 

新国立劇場バレエ研修所のバレエ史という牧先生からいただいた小さいけれど大切なバトンは次の世代にもつないでいかなくては、と今回開催された偲ぶ会に出席して、改めて思いをかみしめました。

 

2022年9月9日

真夏の日本オオカミ~出会った3本~

Organ Works『WOLF』

Organ Works『WOLF』

映画『虎狼の血 LEVEL2』

映画『虎狼の血 LEVEL2』

こちらのmemorandum更新が滞っていました。
この夏、印象に残る3匹 (?) の日本オオカミに出会いましたのでそのお話。

と、いってももちろん実際の日本狼ではありません。

本当のニホンオオカミだったら、大ニュースで “時の人” になっているところでしょう。

ここでいうオオカミとは下記の通り。

  1. Organ Works『WOLF』 7月2~4日 神奈川県立少年センタースタジオHIKARI
  2. 鯨井謙太郒『GINGAN ARAHABAKI 銀眼荒覇吐』7月9~11日 せんだい演劇工房10-BOX、8月7~8日 中野テレプシコール
  3. 映画『虎狼の血 LEVEL2』7月20日

***

Organ Works『WOLF』

Organ Worksは近年本当に多作、かつ幅広い活動が印象に残る平原慎太郎の振付作品。(ただし本人は富山オーバーホールの仕事で不在、出演もない公演です)青木潤の躍動感と存在感に圧倒されました。

そして絶滅種オオカミの保護と研究、ビニールで封鎖され、保護される空間はこのCOVID19禍にあって現在の人間同士の関係や国同士の関係などの連想も呼び起こしました。

 

幻の失われた存在であるオオカミを求める研究者の姿は何かを追い求める存在には共通の孤独と狂気がありますし、求められ保護される側のオオカミの生のパワーと抑圧は色々に解釈、イメージの拡大が可能です。

 

見ていると心がほっこりして、つい毎日のように成長過程を眺めてしまうパンダ、でも彼らは本当はどう生きていたのかな、と思う事があります。

ピンク色のいかにも儚い、(私はお菓子のすあまみたいだと思うのですが)姿からほわほわと毛が生え、体重・体長を毎日測られる存在になりぬいぐるみのように愛でられますが、「保護」は個々の動物の「生」にとっては自然でも幸せでもないようにも思うのです。

話が幾分それましたが、平原慎太郎は近年活躍も評価も目覚ましい振付家ですが、そんな彼の振付は広がりもあり、色々な事を思い起こさせる力がある、ということでもあります。

 

鯨井謙太郒『GINGAN ARAHABAKI 銀眼荒覇吐』

定方まこととのユニットCORUVUSの印象も強いのでソロが5年ぶりというのは意外でした。

5年前、2016年のソロは『灰のオホカミ』に比べて登場したその瞬間から圧倒的に存在感を増した身体がまず印象的。その最初の場面で観客をもっていき、自分の世界へ引き込むような作品。

自身を育んだ地、仙台、画家の御尊父で仙台公演後に亡くなられたTOJU氏を巡る想い、など様々な想いが身体を通して決してわかりやすくはないけれど、形をもって舞台上に現れた手触りのある作品。

 

ちなみにタイトルの「アラハバキ」は東北の神、脚の神、蛇を祖霊とする信仰の上に築かれたとも言われる伝承の神。
今回のプログラムノートにも広瀬川の「S字を描き、向こう岸へ渡ってゆく巨大な蛇の姿。」「陸奥(みちのく)の奥底で、もう千年以上眠ったままのアラハバキよ。」とそのイメージが繰り返しでてきます。

 

当日プログラムに挟み込まれた「鏡像陸奥新生詩篇」も作品の道案内になるのかもしれない。
その詩は「おゝカミがいる!」で結ばれています。

 

映画『虎狼の血 LEVEL2』

8月20日、ロードショー公開に向けて続々報道されつつある話題作。

先駆けて行われた『虎狼祭―コロフェスー完成披露プレミア』が取れたので一足先に見てきました。

 

映画そのものも素晴らしかったのですが、ここで取り上げるのはダンスもあったので。(いいわけ?)
開幕と共に登場したのが、まさかのダンス、というサプライズでした。

最近、ダンス公演を見のがしているs**t kingzがオープニングを飾りました。相変わらずキレのいい踊り。

ただ、今回初めてそんな事に気が付けたのでありがたかったのですが、アイドルを取る時のカメラワークというものがあるのだな、と思いました。彼らのダンスの魅力を伝えるには今回とは別のカメラワークがあるのではと、思いました。

 

とはいえ、多くのダンスを見る、という視線でないお客様は今回のカメラワークを評価する声もあって、難しいなとも思いました。

https://www.youtube.com/watch?v=MlrDuAXhnrA

ダンスの後、出演者が揃い、撮影秘話などをオンラインでつないでのトークが進行しました。

劇場では時間切れで全編を見られなかったのですが、オンラインに全編がアップされています。

https://www.youtube.com/watch?v=UKO_0W0CmLk

肝心の映画ですが、2017年に公開された『虎狼の血』が圧倒的でしたので、あれを超えるのはさすがに難しいのではと思ったのですが、結果から言えば杞憂に終わりました。(意外にもここに書いていなかった、書いた記憶は何だったんでしょう。別のところかな。)

 

何週間以上たった今も印象は薄れず、ネットフリックスにあった『虎狼の血』を改めて見てしまったほど。
Level2の存在も『虎狼の血』の役所広司あって、でもあるなぁと思ったり。

松坂桃李もいい役者だなぁ、と思ったのは実は『虎狼の血』での演じ方が大きかったのですが、今回はそれを更に血肉化させて感じです。

 

ヴァイオレンスが苦手な方にはおすすめできませんが、私は好きな映画。
それぞれの「正義」が「想い」が暴走する世界。バレエとは違う美しさがある世界です。

 

今回はこれまで特に注目していなかった鈴木亮平の怪演(としかいいようのないすごみのある、でもリアルなだからこそ怖い演技)を見て、この人が医師を演じているドラマがある?と久しぶりにTVドラマを見てしまった位。(さすが役者、当たり前ですがこれほど違うキャラを同時に見られると実感しますね)
そして、初めて名前と顔が一致した村上虹郎のぬめっとした独特の存在感も忘れられません。とても難しい役だと思うキンタを演じきった、今後も見たいなと思う役者です。

 

ちなみに作品中にはダンスは登場しません。

 

でも今回のタイトル「オオカミ」はネタバレになるので詳細は控えますが、登場します。
そう展開したか…と思いました。

そもそも映画のタイトルにもありますけれど。

 

続編を期待しつつ。

横浜ダンスダンスダンス

横浜ダンスダンスダンス

オープニングでは横浜カクテルコンテストでのグランプリ受賞作品“シテ・エルジェ”がふるまわれました。シナモンとアーモンドが香る一杯

横浜らしい開放的なシチュエーションで踊られる『ベイサイドバレエ』のゲネプロも。海風も心地良く、時折聞こえる船の汽笛がアクセントに…

3年に一度のダンスダンスダンス@横浜が開幕しました。

オープニング後、“ベイサイドバレエ”では『タムタム』、『ドン・キホーテ』の第3幕、『ボレロ』。ベジャール作品はこうした野外舞台にも映えるな、と改めて。

『ドン・キホーテ』の沖香菜子さんの爽やかではつらつとした踊りも印象に残りました。

 

 

この舞台を皮切りに9月30日までバレエ、コンテンポラリー・ダンスはもちろんバロック・ダンスに阿波踊りと非常に多彩なプログラムが続きます。

横浜を楽しみながら、夏休みの時期ですし、多くの方に是非ダンスにも触れて見て欲しいな、と思います。

 

 

詳細は下記:

https://dance-yokohama.jp/

アクラム・カーン振付『ジゼル』@香港

ジゼル 客席へ向かう

客席へ向かう

ジゼル:こんな撮影用パネルも登場、多くの人が撮っていました。SNS時代ならではですね

こんな撮影用パネルも登場、多くの人が撮っていました。SNS時代ならではですね

プログラムはこちら

最終公演の後、ぐるりと前も後ろも夜景が素晴らしいAQUAで、ユーリ・ンとヤンと

前評判も高く、見たいと思いながらなかなか予定が合わなかったイングリッシュ・ナショナル・バレエ団のアクラム・カーン振付『ジゼル』が日本から数時間の香港で上演されると知り、見に行きました。
大学の講義があった関係で初日のアリーナ・コジョカルがジゼルを踊る回だけは見られなかったのですが、4公演のうち3公演、同じ作品をキャスト違いで3回という作品を楽しむのに個人的にはベストと思える条件で見ることができました。

2016年の初演時の英国での評判は、絶賛もあった一方でバレエ・ダンサーを使いこなせていないという評もあり、必ずしも高いばかりではなかったのも事実です。
ですが、実際に公演を見て思ったのは、新しい時代のバレエ団の目指すべき方向、トライアルとしても非常に価値のある作品だという事です。

日本でも出発前にNHKで放映されたのでご覧になられた方も多いと思うのですが、映像でははっきり見えないところも多いことに気付かされました。舞台全体が暗めの照明のため映像では移りにくい点があるようです。特に雄弁のその場面を彩る美術は画面では分かりにくかったように思います。ハッとさせられる照明と美術の効果がその場面をしっかり物語っていて印象に残りました。

この『ジゼル』の一つのキーワードは「outcast~のけ者にされた人、追放者~」です。衣料品工場で働く女たちが工場閉鎖に伴って仕事を失い、実は地主階級(支配階級)であるアルブレヒトがそうした女性の一人ジゼルと恋に落ち、ジゼルはお腹に新しい生命を宿しているという設定。それにも関わらずアルブレヒトは婚約者であり、同じ地主階級に属するバチルダの元に戻って行きます。その背景にはバチルダの父親の圧倒的な力がある事が通常以上に表現されますが、身分を超えた恋が実らないという点では元来の『ジゼル』と同じ構造です。またヒラリオンは元来の森番としてではなく、労働者たちと地主たちの間を抜け目なく生き抜く「フィクサー」として描かれ、決して最近の「いい人」的な存在でも昔描かれていたような「死んでも仕方のない階級の男」としても描かれておらず、現在の観客に受け入れやすい設定になっていました。

ジゼルがアルブレヒトの裏切りを知って狂い、死ぬのも同じですが、これは実はヒラリオンが手を下したと言う事が2幕で描かれます。アルブレヒトはジゼルを本当に身体ごと振り払って拒絶するさまがはっきりしているなど基本的に物語を知らなくても分かりやすい振付になっているのも現代の作品らしいところ。死んでからウィリの女王ミルタによってまるで電気ショックのような表現で目覚めさせられる振付は痛々しさを伴っていて、他のウィリ達含めたこの世へ、そして自分を殺した男たちへの怨念にも近い憎悪はそうした目覚めたくなかったのに目覚めさせられた事とも関係がありそうです。

ヒラリオンはジゼルを悼む気持ちはありますが、実際手を下した者、お腹にいた子供とジゼル両方の殺人者としてウィリ達によって殺されます。また原作にはなく、アクラム版のビジュアルイメージでも象徴的に使われていた、長い杖のような棒(これはボーダー、力、剣、針と様々なものの象徴でしょう)とトゥで作られる身体の「I」のラインが強さ、怖さ、恨みをといったものを巧く表現していました。こうしたトゥと使った「I」のラインを強調する振付はニジンスカから始まった流れに位置付けることができそうです。その棒でアルブレヒトは手の平を刺されるなどはっきりとした攻撃の場面、そしてジゼルはミルタによって自分の手でアルブレヒトを殺すよう何度も迫られます。それにも関わらず守り通すのは元来の『ジゼル』と同じです。自分を捨てはしたけれど、殺した男ではなく、愛した存在であったこと、負の連鎖を止めようとする姿にも見えます。それは現代社会の負の気持ち連鎖を断ち切る運動とも重なって見えてきます。

そうして命は守られたアルブレヒトですが、彼は象徴的な壁の内側、「outcast」の側に残されるという結末。原作ではバチルダと結婚して終わる、最近ではお墓の前でジゼルを悼みながら終わるというのとも違う、新たな孤独、新たな「outcast」を生んだ恋として描かれていて印象的でした。

シンプルとも言える舞台後方の可動式で時に回転する1枚の厚い壁というインパクトのある美術は照明の効果と相まってそれぞれの場面を浮かび上がらせ、語らせていました。音楽は時折耳慣れた『ジゼル』の旋律が響くものの、基本的には新しく作曲された音楽で、効果音や、サイレンのような音(角笛の部分イメージ)が使われるなどオーケストラを入れながらもハイブリッドなもので、作品世界を盛り上げていました。元来の『ジゼル』のイメージで見る人にも分かりやすいと言えそう。衣裳・美術は香港出身のTim Yipによるもので身分差の見せ方もうまく、効果的でした。個人的には事前にみたYoutubeでのウィリ達の衣裳の裾の細かな「汚し」作業が生きた効果に釘づけでした。裾をとても細かくハサミで切り取り、さらにヤスリをかけて薄くすることでふわっとした広がりが生まれ、踊った時に何とも儚く美しかったのです。

ロマンティック・チュチュでは出せない、アクラム版の設定である労働者である女性達の労働によって擦り切れたともみなす事のできる衣裳とこの世のものではない浮遊感の両方を表現することに成功していました。淡いブルーをベースに泥水を吸ったようなグラデーションのある衣裳の色で決して美しいだけでないのですが、それが新しい『ジゼル』を成立させていました。
男性、自分たちを殺した社会、に対しての怒りの表現が強いウィリでしたが、照明によって消え入りそうに見える裾のふわふわとした感じが愛の儚さであったり、この世から離れたふと消えゆく存在としてのジゼルを際立たせていました。

3つの配役から作品の魅力と可能性の両方を感じることができました。同じ振付でも違うのがやはりバレエの醍醐味の一つ。
刃のようなキレのある動きを見せる猿橋賢のヒラリオンも強い印象を残しましたし、エリック・ウールハウスのヒラリオンはより縦のラインを強く感じさせる表現で自分の存在の在り方そのものも分断されている事まで表現していると感じました。ミルタは一番冷徹な印象を与えたのはStina Qugebeur。SarahKundiはそうしなくてはならない存在だから行動するものの、底に悲しみと矛盾を抱えた存在として演じていると感じました。アルブレヒトは圧倒的にIsaac Hernándezの表現が胸に迫りました。本当に愛おしくジゼルを思い、幸福感溢れる前半の表現が印象的だからこそ、ウィリになったジゼルにどうぞ自分を殺してくれと、力なく腕を開いて見せる場面が浮き上がりました。またこの腕を両方に軽く開いて見せる動きは最初にジゼルと動きが初めて連動する、つまり心のつながりができた瞬間の動きでもあって、胸に迫る場面でした。

アクラム・カーンならではのまるでスクラムのように組んだダンサー達がうねうねと動いて中央にいるジゼルを差し上げたり、隠したりする、「フォルム」としてのダンサーの集団的な身体の面白さなど印象に残る場面がいくつもありました。
既に十分ここに書く文章としては長いのですが、久し振りに本気で「批評」を書いて見たくなる『ジゼル』でもありました。(書きたい事が沢山あります…)

ジゼル役では高橋絵理奈は心破れる表現が印象に残りましたし、2回目のジゼル、Crystal Costaは心の底からアルブレヒトを恋い慕い募る想いを断ち切られることが見える踊りでした。楽日のタマラ・ロホは圧倒的にその役を自分のものとして踊りました。前半の純度の高い幸福感を踊りきる事で、後半の悲劇を、そして裏切られてもなお許すことを選ぶ姿に説得力がありました。
Crystal Costaは以前香港バレエ団に所属されていたことを多くの観客が気付いていたようで(近くの席の方もプログラムで見つけて隣の人に指さしながら話していました)他のダンサーにもまして客席から暖かく迎えられていたように感じました。

タマラ・ロホが芸術監督に就任してから、攻めの姿勢が続くイングリッシュ・ナショナル・バレエ団ですが、この作品は看板の一つになったと言えそうです。来日公演で見られなかったのは本当に残念ですが、日本の興行関係者が来られたと関係者から聞きましたので、いつかは見られるのかもしれません。

<見た主な配役は下記の通り>
ジゼル:高橋絵理奈/アルブレヒト:James Steeter/ヒラリオン:猿橋賢/ミルタ:Sarah Kund
ジゼル:Crystall Costa/アルブレヒト:Aitor Arrieta/ヒラリオンErik Woolhouse/ミルタ:Isabelle Brouwers
ジゼル:Tamara Rojo/アルブレヒト:Isaac Herández/ヒラリオン:猿橋賢/ミルタ:Stina Quagebeur

香港&香港&香港…

90年代から通い続けている香港芸術フェスティバルですが、今年は個人的にとりわけ興味深い演目が多く、チューリッヒバレエ団の『アンナ カレーニナ』、ABTの『ホイップド・クリーム』そしてジョッキークラブプレゼンツの『コンテンポラリーダンスシリーズ』を見に通いました。
年々「plusイヴェント」という名で開催されるワークショップやバックステージツアー、そしてトークイヴェントと充実度が高く、ほとんど1日劇場の中をウロウロしている感じですが、作品やカンパニーをより深く知ることができる楽しいひと時です。

次の香港はアクラム カーン振付のイングリッシュ・ナショナル・バレエ団の『ジゼル』、と思っていたらその前に香港バレエ団が初めて開催する「バレエ・シンポジウム」があるとのお招きがあり、1回目ですし是非と1泊弾丸で参りました。ほとんど毎月のように言っている計算になります。

シンポジウムは1日でしたが、盛り沢山な内容がつつがなく終了。もっと深く聞いてみたこともありましたが、充実した時間でした。アジア圏のこうしたシンポジウムはなかなかないので、続いて拡大いていったらいいな、と思っています。日本からはスターダンサーズ・バレエ団の小山久美さまがパネリストとしてご登壇され紹介された『ドラゴンクエスト』は注目を集めていました。現代の日本で想像されるゲームのバレエは新鮮だったようです。

香港バレエ団の公演は意欲的なトリプルビル。クリストファー・ウィールドン『ラッシュ』、アレクセイ・ラトマンスキー『動物の謝肉祭』、トレイ・マッキンタイヤ『ア・デイ・イン・ライフ』。広告ビジュアルの鮮烈さも印象的。

今週末もまた、アクラム カーン振付、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団の『ジゼル』を見に出かけます。4公演4キャストという豪華版。私は3公演見る予定です。

JaDaFo2017授賞式が行われました

受賞者とJaDaFoのメンバーたちでの1

お祝いに駆け付けた豪華な顔ぶれ。
榎本了壱さま、勅使川原三郎さま、私、笠井叡さま、梶屋一之さま

私も選考委員を務めているJaDaFoの授賞式が行われました。もう12回目、干支も一周り、時間の立つ速さに時々めまいがするくらいです。

 

第12回日本ダンスフォーラム賞、受賞者は下記の方々。

佐東利穂子さま

笠井瑞丈さま

Akaneさま(アカネキカク)と登美丘高校ダンス部

コンドルズさま

 

いずれも納得の顔ぶれなのではないでしょうか。

会場では意外にもあまりこれまでゆっくりお話なさったことがなかったという笠井叡さんと勅使川原三郎さんが話し込むなどここならではの交流も見られて、素敵な時間でした。

結実するのも夢みたいところ。

 

2018年はどんなダンスが、ダンサーが見られるのかわくわくを胸に劇場へ通います。

毎日新聞2018年2月

新聞、寄稿いたしました。

毎日新聞さんからお声掛けいただき、僭越かも…と思いつつ、心を込めて書いた記事が掲載されました。

 

この記事に先だって京都、東京の二都市で行われた偲ぶ会ではその存在の大きさと人となりが改めて偲ばれました。

最後のディレッタントでもありますね。

海外からも悼む声が多く聞こえます。

ウェルカムフラワー

新年の舞台~ダンスとバレエ~

ウェルカムフラワー

草月流家元 勅使河原茜氏による雄大なイメージのウェルカムフラワー

文化庁長官宮田亮平氏

文化庁長官宮田亮平氏による乾杯

演劇、オペラ、バレエの3研修所によるパフォーマンス

タイトルの「モナカ」

売店ではタイトルの「モナカ」も販売。美味しくいただきました。ふわふわのコートとチラシの色も合う感じ?!

 2018年も明け、あっという間に松の内も終わり。
そんな新年の舞台初めは楽しいものになりました。

 

ダンスは山田うんさんの『モナカ』@青山スパイラル・ホール
2015年KAAT初演の作品。
作品は繰り返し踊られることで濃度を増すのだ、ということを実感させられました。山田うんさんの振付家としての力量も、気が付けば「大御所」(良い意味で)なんだな、という手際の良さで飽きさせずにうねりのような舞台に釘づけになりました。身体の動きの面白さ、終わっても「もっと見ていたい!」と思う余韻と中毒性、新年早々素晴らしい舞台に出会えて幸せでした。
東京公演は終わりましたが、1月21日に福岡市立東市民センター並木ホール、1月26日ロームシアター京都 サウスホールでの公演がありますから、お近くでもそうでない方も是非!お薦めです。
http://yamadaun.jp/?page_id=1210

 

 バレエはニューイヤー・ガラ@新国立劇場オペラ・パレス
新年にふさわしい華やぎに満ちた作品も堪能しました。劇場20周年の祝賀会も華々しく、3つの研修所の生徒さんによるパフォーマンスも目を楽しませてくれました。
開幕から見ている劇場はそう沢山ありませんが、あれからもう20年…と思うと早くて恐ろしい心持ちになります。
 その当時は様々なバレエ団から来たダンサー達によるモザイクのようだったバレエ団もしっかり新国立バレエ団の個性になったのではないでしょうか。多くの先生方や観客、そして時によって育まれたものなのだろう、と思います。バランシンの『シンフォニー・イン・C』はそんな今のバレエ団の魅力があふれる仕上がりでした。
ロビーでも懐かしい幕開けの『眠れる森の美女』や『梵鐘の鐘』の話で盛り上がりました。

 

 今年も沢山の素晴らしい舞台に出会えたらと思っています。
皆様にとってもこの一年が素晴らしいものでありますように!

内田春菊がんまんが

漫画に登場しております

内田春菊がんまんが

裏表紙もユーモアがある感じなので是非お手にとってご覧下さいませ。

内田春菊さんの新刊『がんまんが 私たちは大病している』(ぶんか社)に数コマですが(p.107)登場しております。読んでいて気が付きました。

お目にかかった時そんな状況だったとは、今回まんがを読んで知ったという次第です。

以前お目にかかった時よりむしろ、髪形やカラーもあったとは思いますが、若々しくおなりになっていた印象すらあるので、私の目も節穴なのかも…。

でも、がんの治療中でいらして、当日ポートを見せて下さったのは良く覚えております。

 

大正大学で私が教えている講義は前期が私、後期が内田春菊さんなので、お打合せがあった時のことでした。

 

自分の身体の事ってなかなか「カミング・アウト」しづらいように思いますが、内田さんの著作はさっぱり気持ちの良い「カミング・アウト」っぷりで読んでいて嫌な気持ちになりませんね。すごいなぁ。

 

そして、医師とのやりとりや実際の手当て等、当事者の方には参考にもなる1冊なのではないかな、と思いました。